おかわりもらった

元気な証拠を残します。

胃腸をなでなで

今とてもコラムみたいなものが書きたい。ただ、今までは描いたイラストに対して文章を書いていたのだけど、今やろうとしているのは逆で、文章書いてから絵を描きたい。でもこれってもの凄く大変な事なのでは?と思い始めて来た。文章書きながら絵を描くなんてどうにか出来ないものだろうか。

 

久々に連続で早寝して6時間以上寝ていて元気が服着て歩いているぞ!ヘイヘイヘイ!!と無敵モードになっていたのに通勤途中に急にお腹が痛くなった。大丈夫大丈夫、無敵モードだからと言い聞かせて会社まで激闘をしながら我慢してトイレに行ったら無敵モードは解けていてぐったり疲れてしまった。

思い返せば元々僕はお腹が弱くていつもこんな感じだった。一昨年に胃腸炎になって病院で薬を貰って飲んだら胃腸炎と一緒にお腹が緩くなくなった。だから久々の感覚で懐かしいというか何というか、数年ぶりに鉢合わせたヤンキー同士が殴り合って土手で夕日をバックに思い出話と共に青春を語り合うってこんな感じなのかなと思った。

 

長期的に何かができる時間が欲しいな。やりたいこと半分諦めていて半分諦めきれない。諦めるって、1%でも未練があったら割合ともかく諦めてない事になるな。なんて思う。やるだけやったら諦めつくだろうか。もっと諦められなくなるだろうか。諦められない気持ちを何かのキャラでイラストに出来ないかな。ポップにしたい。

よく寝て起きて育てる

仕事をして家に帰ったら「寝なきゃ駄目だ」と気持ちが動き、ラジオの編集とメール2本送ったら寝よう。と30分で終わる見積もりを立てたのに10分後ぐらいに床で寝てしまった。起きたら1時でそのまま布団に入ってスマホを充電せずに寝た。

ずっと家の事で悩んでいる、出来たものに対して不満や後悔が出てくるのは覚悟していたけど、それを解決する力が出ない。原因が家だと包み込まれたかのように悩んでしまう。寝たらどうにかなるわけでもないけど寝ない頭で考えても解決する事ではないんだろうというのが最近の結論。悩みに包まって寝る。

大人になってから寝ても育たなくなって、起きている時にしか成長出来なくなっているけど、眠い時の死んだように生きている感覚は何にもならないな。

 

お子様が顔真似をしてくるようになった。口をパクパクさせると真似してパクパクする。大きな口を開けると大きな口を開けてサービスで下ベロを出してくる。試しに顎を出して猪木の顔をしたらそれも真似してくれた。最近はご飯をニコニコ食べる時に猪木顔をするみたいなんだけど、お子様の美味しいの表現が猪木になってしまったかもしれない。

 

表情が豊かになっていくお子様を見ていると心が豊かになっていく気がする。

 

ご飯を食べている時の顔になってくれ

絵を描いていたりなんなりしていたら夜中の3時という絶望的な時間になっていた。遅刻はしたくないから寝るのを諦めようとしたけど絶望を感じながら次の日を迎える想像をしたらたった1日でも耐えられそうにもなく、寝坊覚悟で絶望をリセットをするかのように布団に入った。

朝は5時半起き、だけど意外とガバッと起きれたし頭はスッキリしていた。もしかして僕は超健康な身体なのかも知れない。布団から少しだけ目を覚ました嫁が「寝てないでしょ。少し遅刻していけば?」と言ってくれたけどそのまま会社に向かった。

 

人が少し寂しそうな顔をする。少しハラハラしてしまう。そのままで良いと思っている人がそのままでいられなくなってしまう状況がとてもいたたまれない。ただ、その顔を見せてくれる距離感に来れたのは嬉しい事。寂しそうな顔が溶けた時に近くでまるで自分の事のように喜べるからだ。何が出来るだろうか。僕は最近、鯖の塩焼きを食べて「ご飯何杯でも行けるわ〜」と思う瞬間に希望を感じるけど、そういう事ではないだろうな。

 

やはり何かをやりすぎると空っぽになるみたいで、最近は絵を描きすぎて絵を描きたい欲みたいなものが空っぽになってしまった。空っぽになってもやろうとすると空転して過負荷で熱が出る。空っぽな時に描いた絵は本当にびっくりするくらい評価が薄い。いつもの半分くらい。下手な鉄砲、数撃てば当たる。スタンスで絵を描いていると最近人に話したけど、今は空砲だ。音だけがして一瞬で消えて、人の記憶からも消えていく感覚。

常に何かをしていたい訳ではないのかもしれないけど、しないとどんどん透明になって行く気がする。仕事して嫁と子供と遊んでテレビを見て本を読んで寝て、それで満たされる気がするのに、満たされたものをわざわざ吐き出してしまっているのか?という所まで頭に煙が出る。

今は少し文章書きたいと思うようになってきた。メモを都度都度取って溜まったら更新しようと思う。この日記も、noteのブログも。

 

 

 

コンテンツで孤立したい

雪が降って本気の冬の寒さを思い知って身構えていたら雨が降って雪が溶けて春の陽気になった。気温だけでなく朝も明るくなった気がする。朝6時半に家を出て空が明るくなっていって車のライトを消す瞬間に本当の朝が来て1日が始まる気がする。その時間が短くなった。1日が長くなるのは気持ちが明るい時間が増えると言うものだ、うん、きっと。

最近糸が切れたように文章を書かなくなってしまった。小説を久々に読んだら自分の感受性の薄さに落ち込んでしまい、資格試験も重なりお休みしていた。(まだ試験終わっていないが)

その間もイラストは描き続けていたのだけど、そっちは見てもらえる機会が増えて来て嬉しい。何にも掴めていないのだけど、続ける事は大事だよね。と言い聞かせている。

最近は特に誰かと比較するとやっぱり辛くて。勝っても負けても心にもやっとしたものがまとわりつく。戦うにしても、唯一無二のもので勝負に出たい。発明が必要だ。ずっとずっと悩んでいる。これかな?これかな?と手探りしている。

こちらから人を呼び込むのでは無くて、人がふらっと来てもらえるコンテンツを作りたい。人間性で呼び込まない。やっぱり僕は頭の中で、頭の中を楽しんでもらえるのが一番嬉しい。僕がいない所で盛り上がってくれるのが何より嬉しい。頑張ろう。

小豆の亡骸

水筒にどうにかおしるこを入れたくて悩んでいたのだけど、何となくパンに塗る為に買ったあんこを見ながら、コメダ珈琲にこんなメニューあったなと思ってスプーン一杯だけコーヒーに入れてみた。

そのまま会社に行き、飲んでみたらなかなかにコクが生まれた…気がする。多分入れなくて「あんこ入れたよ!」と嘘をつかれても同じこと言いそうなくらいのものだけど、無理にでも結果が欲しくてそう思い込んだ。途中でテンションも上がり、水筒をやたらと振ってコーヒーを飲んでいて、小豆早く出て来ないかなと思っていたら最後に出てきた。出て来たけど中身がスカスカで皮だけの小豆で噛みごたえも無くて気持ち悪かった。小豆の亡骸を食べているよ!と叫びそうになった。あんなスカスカな小豆は怖いよ。何があったんだ!?誰にやられたんだ!?と思うくらい絶望的な現場だった。しばらく小豆の顔が見れなくなりそう。

次はきなこでも入れてみようかな。奴なら最初から粉だし。

 

イラストも日記も「やりたい時にやれるだけやれば良い」と思っていたけど、「やらなければ楽だよな」と思う事が多く、やりたい時だけだと全くやらなくなるんだろうな。何とか日課にしたいけど、目標がことの如く足枷になっている気がする。いや、昔から僕にとって目標は目指すべきゴールではなくてやらなければならない足枷でしかないのかも知れない。新年早々、抱負という足枷をつけてスタートしている感覚。そういえば子供の頃、目標達成を出来なければ罰があったな。これは余談だ。

とにかく、つべこべ言わず続けたい。考えるの辞めたい。これも練習。

お弁当は遊び入り

お弁当箱を新しくした。たまたまスーパーで気に入ったものがあり、それが丼専用のお弁当箱だったから少し悩んだけど気に入ってしまったから仕方ないと購入した。

丼専用のお弁当箱だからご飯を掘るようにして食べて行くのが楽しい。上からご飯を覗き込むようにして掘っていく。掘っても掘っても白いご飯なのだけど、お弁当の楽しい所のイメージだけを抜き取ったような感覚がする。お弁当は食べ物で遊んでいるみたいだ。

 

それと水筒も買った。毎朝缶コーヒーを買っていたのだけど積み重ねるとそれなりのお値段になりそうだから、家でコーヒーを水筒に入れて持っていく事にした。缶コーヒーよりかは味気ないけど、不満というほどでもなく、すぐに慣れるんだろうなという予感はする。今はまだ帰りに缶を捨てるという動作がないのが気持ち悪くて慣れない。どうやら僕の退勤の気待ちの切り替えは缶をゴミ箱に捨てる時の「カン!」という音で行われているらしい。

あと、缶コーヒーを買うのを辞めた事によって、自動販売機で飲み物を買うこと自体に抵抗を感じるようになった。昨日は急におしるこが飲みたくなって、いつもなら買ってしまうのだけど「水筒におしるこ入れなくちゃ」という使命感に駆られてずっと考えていた。何だか目的がよく分からなくなって来た。とにかく今は安くおしるこが飲みたい。

消化出来ないゴミをどさどさ重ねる

3日連続のゴミ捨て初日。燃えるゴミ以外のゴミ捨て場がそれなりに遠くて車で行っている。朝早く、誰もいない公園にどさどさとゴミを重ねるのは楽しい。これが帰ったら無くなっているのを見たり想像したりするのが好き。野生の動物が持っていったんだろうとか想像したりする。捨てた炊飯器を使ってご飯でも炊いているのだろうか。とか。でもこの日は他にも捨てている人がいて気がついた瞬間にビクッとしてしまった。悪い事をしている人だと思われたかな。いや現実に戻った瞬間なだけなんです。変なものも捨ててないです。いや、生活の不用品なんてまともなものないかも知れないけど。

 

帰ったら頼んだ本が沢山届いていた。5冊中2冊が短歌の本で、そういえば最近短歌が好きだなと思った。短歌は言葉を言葉のまま物質化した気がする。手に取れる持ち運べるような。感情や情景や今や昔や未来の情報がそこにギュッと詰まっている。何よりもそのギュッとしたのが人間だと確かに思えるのが好きなのかも知れない。子供の頃、飛び出す絵本を初めて読んだ時の感動をはっきりと覚えていて、それと近いかもしれない。

どうしたら伝わるんだろう?と思う事を、短い言葉にしてからゆっくり開いていく事を、最近してみたい。時間をゆっくりしたい。