おかわりもらった

元気な証拠を残します。

非現実の舞台と現実の舞台のはしご

知人の芝居を観に東京まで、芝居を観るのなんて1年以上ぶりかも知れない。子供が産まれてから芝居から離れていたけどやっぱりまた機会があればやりたいな。最後に立った舞台で自分の実力の底が見えてもういいかなと思ったのは忘れた訳じゃないけど、そういえばそんなこと毎回思っていたんだよなと思い出した。

芝居を観ながら、捻くれた人が書いた台本と演出を純粋な人が演じる。という構図が目に浮かんで僕が好きな芝居ってこういうものだったなそういえば。なんて思った。楽しかった。

 

その後、芝居仲間の結婚パーティーに行った。もうかれこれ共演してから2年以上経つのだろうか。7か8歳くらい歳下の方だけど呼んでくれたのは嬉しいし芝居って年齢を感じさせない所があるかもしれない。芝居をしていれば歳を取らないじゃないか。とも思ったけど、こういう考えをしていると自分の事が客観視出来なくなって浮くんだろうな。気をつけよう。

 

結婚パーティーは楽しくて素敵だった。ビンゴゲームの司会進行を新郎新婦2人で回していたのが楽しそうだった。シャンパンタワーもあってシャンパンを何本使っても注ぎ切れないのがタワーがそびえ立つ感じがして良かった。2人して、まだ足りないの!?というリアクションをしていた。

 

芝居を消化しないまま結婚パーティーに行ったからかフィクションとノンフィクションがごっちゃになった。帰りの電車で芝居の台本が早くもnoteで100円で売っていたから読んで、その後はずっと寝ていた。

家に帰ったら日付が変わっていたけど嫁は起きていた。嫁と話していたらいつもは一度寝たら朝まで起きない子供が起きてニコニコしながらこっちを見てきた。