おかわりもらった

元気な証拠を残します。

噛みきれない豆苗を噛みながら「一生」について考えてみる

前日まで大雨が嘘のような、空が「やりきった!」と言わんばかりの晴れた日。

嫁の希望で栃木の足利にあるカーテン屋さんに行った。栃木!?と思ったけど、群馬から高速道路で30分程度で着いた。

嫁が「高速道路ってアトラクション感があるよね」と言っていたけど、確かにゲートをくぐってから高速道路に合流するまでの道は何かが始まるような感じがする。

 

カーテンはシンプルなものにした。家の雰囲気と同化させつつも開けたり風が吹いたら雰囲気が変わるものがいいなと密かに思っていた。あと何よりも部屋がどうせごちゃつくだろうから、カーテンも一緒になって遊んだらうるさそうだなと思い、ごちゃごちゃな部屋を優しく見守るようなカーテンにした。

子供は普段外では大人しいのにしばらくしたらケラケラ笑っていた。何が面白いんだろう?と笑いの原因は分からなかったけどチャンスだと思って小声で「カーテンシャー!」とか言っていたら沢山笑ってくれた。

 

家にはカーテンレールもついていないからその取り付けも含めて全部屋合わせて20万ちょっとした。カーテンってそんなにするの!?と思いつつ、店では余裕な顔をした。帰りに「カーテンって結構するんだね」と嫁に言ったら「私はもっとすると思った」と言われた。大人〜。

 

カーテンに限らず、机とか棚とか改めて見るとどれも結構お金がかかる。一生に何度もする買い物でも無いしな。と思って買う。「一生」に対しての感覚に終わりが生まれた。小さい箱にすっぽり収まったような気がする。でも何でこんなに前向きなんだろう。縮こまった感じがしないんだろう。終わりを感じる事で、その終わりまでに何が起こるんだろうとか、どうなるんだろうとか、今どうなんだろうとか、その楽しみがくっきりして来たのだろうか。

思えばずっと一生に怯えていたのかも知れない。人間って過去と未来の事を考えると憂鬱になるらしい。だから現在の事を考えられる時間は幸せなのかも知れない。

噛みきれない豆苗を噛みながら、そんな事を考えていた。