おかわりもらった

元気な証拠を残します。

色々なSNSをどんどん辞めていく

もう読み返さないだろう本、聴き返さないだろうCDを「懐かしさ」と言い訳して惰性で長いもので10年以上取っておいたのだけど、先の事だけを想像してみたらやっぱり見返さないだろうから引っ越しを機会に処分した。

ついでに心機一転、良い機会だと思って色んなSNSも辞めるつもりで眺めてみた。

 

Facebookは中学や高校の友人と繋がれて、懐かしさがあって、そこでしか繋がらない人も沢山いたから続けていたけど数年開かなかったしそこでしか繋がっていない友人は勿論会う事も連絡を取る事もなかったからもういいやと思った。

辞める前に色々見ていたら昔の恋人に友達リクエスト送ってそのままになっていたのを見つけて「嫌な思いをさせてしまったのだろうな」と思い少ししゅんとした後に「何やってんだよ」と声に出して笑ってしまった。何年前だろう。5年くらい前かな。大げさかもしれないけど未来を1つせき止められているように見えた。その人のプロフィールには「結婚しています」と書いてあった。もう関わる事は一切無いだろう。「お疲れ様」と思いながら解除してからアカウントを削除した。

 

Tumblrは8年くらい前だろうか。社会人になるまでは活発に使っていた。日記を書いたり好きな言葉や画像を沢山投稿したりリブログしていた。この時、こんなもの好きだったんだ。白黒の街並みとか好きだった時があったんだ。背伸びをしていたんだろうな。なんて思いながら眺めて全て削除した。今でも投稿しそうだなと思うものも沢山あった。

特に子供についての考察が沢山あった。怒らない親、子供を通して感じたこと、子供は何を考えて感じているのか。そんなものが沢山あった。今実際に子供を持つ事になるなんて、この時は想像もしていなかったと思う。読み返していたら子供に対してぼんやりと感じていた事がぼわっとくっきりと形になって抱えきれなくなって子供を見たら、布団で無邪気に寝返りをうってニコニコしていて、またぼんやりとなった。子供の事はいつかゆっくり書きたい。

あと、意外にもイラストの投稿は一切なかった。影響を受けたり好きで仕方ないイラストレーターのイラストもなかった。イラストの趣味は本当にどこから湧いて来たのだろう。もしかしたら子供が出来る事よりも想像していなかったのかも知れない。

結局Tumblrはもう使えないメールアドレスのままの登録だったからアカウント自体は消せなくて、問い合わせするのもめんどくさいからアプリとブックマークを削除した。

 

pixivやブクログや、他にも色々辞めた。

中でも1番時間がかかったのは、Twitterのアカウントだった。

ポロポロ思ったことを感情のままに呟いていたアカウントがあったのだけど、まとまっていないネガテイブなドロっとした文章を見るのが急に気持ち悪くなってアカウントを消そうと決意した。ツイートを一つ一つ消しながら読み返してみたけど、1年前も今と同じ事を言っていて、感情を小出しに言葉にするのは発散とはまた違うのかなと思った。言葉が勝手に成長してしまうイメージ。手に負えないから消すしかない言葉がそこには沢山あった。頭の中でちゃんとこねて焼いたり、、、とかちゃんと料理しないと外に出して後で恥ずかしくなるのは自分なんだよな。と思った。

いいねしたツイートの一覧もブックマークも全部読んで全部削除した。1年半で5000くらい呟いていた。怖っ。愛着はあったけれど、徐々にツイートを消していたからかアカウントを削除する瞬間は自分でもびっくりするくらい軽くあっさりだった。

イラスト用のTwitterも辞めようかと悩んだけど、これはなかなか友達も出来たし、まだまだ知りたい人もいるしで時間がかかるだろうなと思ったけど、いつかは辞めるんだろうな。とははっきり感じた。

 

SNSは今までの最高おもちゃだったな。他にも色々手を出していて、SNS自体が好きだったんだろうな。ありがとうSNS、これからは適度な距離感で関わります。