おかわりもらった

元気な証拠を残します。

食卓に囲まれる

休日、部長から電話が来て「営業から図面が出ていないと言われているけど出した?」と言われ、出した覚えはあるけど不安になって会社に行った。行きながらもし出していたらどう文句言おうか?出していなかっならどう謝ろうか?と考えていた。ほぼ文句を考えていた気がする。

会社でメールを確認したら案の定出していて問い合わせたら「修正の指示するのを忘れていたからこの分の図面修正をしてくれ」と言われた。最初からそうお願いすればいいのに。何で一度濡れ衣を着せるのか?と思ったけど直接本人とやりとりすると怒る気も文句を言う気もなくなった。というかやっぱり今、本人に怒りをぶつけても仕方がないやりにくくなるだけだしと思ってさっさと処理して帰った。

もっと言うと僕の担当の仕事ではなかったから関係ないと断ればそれで良かったのだけど結局誰かやらないといけない事となると断ったら次の人への罪悪感で苦しくて多分残りの休日心が休まらないなと思った。こういうことをすると感謝されるし会社での評価も上がる。言わば「良い奴」認定されるのだけど、その良い奴の前に(都合の)が付く。あと家族にとっては駄目な旦那、父親になるんだなと思った。今は嫁と子供は里帰りしているけど、それでも申し訳ないと結局心苦しくなった。

大人になってこういうバランスを取るのが難しくなって来た。昔は自分を犠牲にするのを美徳として生きて来たけどそれで身近な人を傷つけてしまうのを元恋人に教わり、自分をもっと大切にしよう楽しませようと思っては来たけど、バランスを取るのに1番手っ取り早いのは自分を一度横に置く事だなと改めて思い始めて来てしまった。

 

そのまま里帰り中の嫁の実家に行った。

子供がバンバン手足を動かすようになった。早く自分の意思で動き周りたいんだろうなと思った。ひっくり返ったカブトムシみたいだなと思ったけど言わなかった。

あと伸びを何度もするようになった。こうやって成長して行くんだろうな。

 

昔、僕らの時代で役者を目指す人達に「家族とかを犠牲にする覚悟はあるか」という話をしていた。僕には無理だな。犠牲にすると心苦しくなるものが増えた。あわよくば好きな事をしてご飯が食べれたらいい。と思っているけどご飯を食べるだけではよくなくなった。好きな事よりも好きな人が増えすぎてしまった。

嫁の母親は僕が来ると気合いを入れて夕ご飯を用意するみたいで何だか申し訳ないと思いつつ、ありがたく頂き、泊まって行くか?とも言われたけどそれは断って帰った。

帰り道にそういえば僕は家族でご飯を食べるのがあまり好きじゃなかったなと思い出した。テレビを観るのが禁止でつまらなかったり親の近所のよく分からないけどあまり良くないだろうみたいな噂話を聞くのが嫌いだったし、学校はどうだ?と広い質問も教育に繋がる感じが嫌いだった。

嫁の家族はどうだったんだろう。こういう話、改めてしてみようかな。食事ってどうあるのが1番楽しいんだろう。

でも嫁に惚れたきっかけは、一緒にご飯を食べていてなんだよな。嫁がドヤ顔でどんぶりを食べている姿を見てこの人と一緒に居たいと思ったんだよな。(美味しくはなかったらしいが)

 

帰り道にプレイリストにまとめた音楽を聴いていて、日々の素晴らしさを教えてくれる音楽が今好きだけど、子供にはまだ早いというか、もっとワクワクしたことを考えて欲しいなと思った。

「昨日買ったワンピースで 眠ることを忘れて踊る」(眉村ちあき「ピッコロ虫」)

とか

「地球がくるくる回って そしたらみんな目が回って」(坂口有望「地球-まる-」)

とか

 

いや、これもまだ早いのか。無邪気でいいか。言葉なんかにまだしなくていい気がする。

 

帰ってソファーで寝転んで、そういえば子供、よく笑うようになったな。嫁は相変わらずよく笑うな。とか考えていたらそのまま寝てしまった。