部屋が優しくなる
家に赤ちゃんグッズが増えて来て部屋の間取りが変わりつつある。子供が出来たら人生の主役は自分から子供に移行する。と聞いたことあるけど、元々人生の主役は自分だと思って生きていないからそれはすんなりハマると思うけど、暑苦しくならないかはちょっと心配。
昨日残業していたら21時半くらいに実家から電話がかかって来た。祖父母に何かあったのかと心配になってすぐに出たら「そろそろ子供産まれるよね?」と言われて妙に安心して長話してしまった。子供が産まれること…というよりも何かと変化を気にかけて楽しみにしてくれるのは嬉しいことで、何よりもちょっと前まで体調悪くしていて気分も落ちがちな祖父母が元気そうだったのは良かった。
その後、妹から「大学の奨学金の保証人になってくれ」とLINEが来て快諾したけどその後に「誕生日2月19日だよね?」と2日先の間違った日にちを言われて、その日に祝われても嬉しいし訂正するの面倒くさいから19日でもいいかな。と思ったけど後で怒られそうだったから訂正した。
「何で人は死んでしまうの?」
と子供に聞かれる夢を頻繁に見る。
その度に「何でだろうね。ずっと皆元気ならいいのにね」と言って子供を抱きしめる。
それでも何度も同じ夢を見るんだから回答に納得していないんだろうなと思う。「命を大切にする為だ」という回答を聞いたことあるけどそれは都合がいい感じがして言いたくないな。うーん。なんでだろう。
「どうやって子供はできるの?」と言われた時用にコウノトリのコスプレをして子供を抱っこして写真を撮っておこうかとかしょうもないこと考えている場合じゃないかもね。
(あとオードリーの楽屋に挨拶に行く夢も頻繁にみる)
変化を楽しめる人って羨ましいと思う。変化があると想像しうる最悪の状況をいくつか想像してしまう。
元号が発表された時も何が変わるって訳でもないだろうに余計な事沢山想像しちゃって嫌だった。そもそも元号なんているのかと思ったくらいなんだけど、Twitterが令和大喜利で盛り上がっていて言えなかったし、流れに乗れない自分がちょっと嫌だったし悲しくなった。
大きなものはずっとシンプルでいて欲しい。その中で小さく無駄なことをしていたい。