おかわりもらった

元気な証拠を残します。

どっしりした日もあっさり過ぎていく

あっさり水曜日になってしまった。昨日の夜、冷蔵庫を開けながら急に「今日はもしかして火曜日か?」と思ってカレンダーと時計を見たら火曜日も終わろうとしていた。

時間が足りないくらいにやらないといけないことも楽しいこともある。ボーッとしたくもある。割と今のペースは良い。むしろ充実しているくらい。ただ、周りのSNSをやっているイラストレーターがガンガン突き進んでいて焦ってしまう。悔しいとか羨ましいとかではなく、ついていかないと輪に入れない気がして変に焦ってしまう。学生時代と感覚が変わらない。無理をしてついていかなくてもいいのに。最近は1人が好きな瞬間も多くて、昔と変わったなと思っていたけどそうでもないか。お子様を見て「1人で遊べるようになって来たね」と言って喜んでいる場合なのか。場合です。

 

こことは別にブログを書こうとずっと言っていてタイトルは「寝る前に開ける冷蔵庫」に決めてはいたのだけど、扉絵をなかなか描けなくて(めんどくさくて)放置していたのを昨日ようやく下書きした。冷蔵庫は中に何を入れよう何を描こうと考えるのが苦痛で仕方なかった。沢山絵を描けるのは楽しいはずなんですよね。イラストレーターならば。頭のフィルターが狭過ぎて冷蔵庫が通らない。でもこのごちゃごちゃした冷蔵庫のイメージがまんまやりたい事でもある。

煮詰まりすぎて、妻にお願いして、冷蔵庫を開けてもらってその写真を何枚か撮ってずっとにらめっこをして、ようやく下書きだけ出来た。早く文章書きたいな。

花束で乾杯をする華金

仕事から帰宅してお弁当箱を洗っていたらキッチンカウンターの上に黄色のミモザとピンクのチューリップとピンクのスイートピーがビールジョッキに生けてあった。見つけた瞬間部屋がパッと明るくなった。花はいいね。明るくなったけど生活の落ち着きはそのまま。花は明るくて静か。

ただ、花瓶の代わりがビールジョッキなのはとても気になる。僕が数年前にビールを美味しく飲もう。と意気込んで買って2回くらいしか使用していないやつだから使うのは良いけど、どうなんだ。花で乾杯をするのは中々オツなものですかね。と自分を納得させようと思ったけど、いや、花で乾杯したらダメだろ。一気にうるさくなる。花瓶を買おうね。

花が置いてある場所はエアコンの風が直接当たるから場所を変える事になった。妻が花束が生けてあるビールジョッキを片手にうろうろ歩いているのは何かの儀式みたいだった。春を呼ぶ儀式?春はもう手元に来ているよ。春の仲間を作る儀式?乾杯をされたら皆春になる。何にせよ参加出来ない儀式は怖い。場所はとりあえずエアコンから避ける形で決まったけどキッチンの始点に置いたせいでキッチンの門番みたいになった。生活感強すぎて不自然だ。しかし不思議なもので朝起きたら馴染んでいてつい「おはよう」と話しかけそうになった。

いや、話しかけてもいいのか。

 

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なーんも別に特別な事しなくてもいいのにね

自分の取り扱い説明書なんて無いからどんな生活リズムが適しているかなんて分からないね。欲求なんてコロコロ変わるし、外の景色の色味や配置バランスが変わるだけで気分も変わるし、今日食べたいものだって変動する。今はしじみのみそ汁が飲みたい。

ラジオで俳優さんが役作りをする時はその役の欲求を考える。と言っていた。透明な自分をくっきりさせたいから欲求を考えてみよう。自分作りだ。と考えてみたけど、どうにも「これは本当にお前のやりたい事なのか?」という壁に負ける。何だかどうやら僕ははっきりさせるのが嫌いなのかも知れない。うやむやが好きという訳ではないんだけど。決めたらそれで終わりという恐怖が少々。

 

毎朝6時に起きれば良いのに最近4時半に目が覚めてしまう。まだ寝たいけど寝たら寝坊しそうな絶妙な時間。最近そのせいで朝が長い。朝って何時からなんだろう。4時半はまだ眠っている朝で、7時くらいから起きている朝。というイメージ。眠っている朝に起きるのは何とも言えない無敵感。まだ何でもやれる。おまけの時間から1日が始まるのが嬉しい。大体ボーッとしちゃうんだけど。

 

黄色い信号に手を振る

今読んでいる本に「人は、1つの悩みだと耐えられるけど、2つ以上悩むと壊れる。とミスターマリックが言っていた。」と書いてあった。

ミスターマリックというのは置いておいて、確かに普段「パニックだ〜〜!」と思う時は2つ以上悩んでいる時かも知れない。壊れても直せるというのはいつ覚えたんだろう。風邪をひいた時かな。安価で沢山買えて、新しい物がバンバン出る時代だからか分からないけど、物が壊れた時は捨てて買い直すか、修理して直すか。一応葛藤する。真っ直ぐに「修理して直そう」と思える素直な優しさが欲しい。人間関係も「こんなめんどくさい人間は切り捨てようね」と言う言葉がネットに飛び交うのも少しだけ怖い。せめてフェードアウトがいいな。自分の身は自分で守る。いっぱいいっぱい。悩みなんて同時にいくつも持っているものだけど、それをひとつひとつかいつまんで処理して行くのが壊れない方法という事なのかな。

そう考えるとワニワニパニックというゲームは人間の心理を突いた名前だ。最初は一つずつワニさんが出てきてリズム良く叩いていく、それが段々と速くなり、同時にいくつものワニが出てきて処理出来ずにパニックになる。全部処理しなくていいのにね。あれはワニを全て叩くゲームではなく、沢山叩くゲームなのだ。全部処理しないと行けない。という心理にいつしかなっている。日常もそうなのかな。とはいえ、ゲームと違って目をそらせない事ばっかりだけどね。

 

よくわからない負の感情が次々に顔を出してきてパニックになった時は、ゲームセンター に行き、ワニワニパニックにお金を入れて遠くから眺めて他人事にすることにしています 。 おーおー負の感情が出てくる出てくる。叩かなくていいのだ。戻るまで一休みするのだ。

 

これ、3、4年前に書いた短編のような文章。同じ事で追い込まれていたんだなと思う。文章にして残していくのは記録としていいね。

めっっっっっっっっっったに読み返さないけど。

生活のリズムを作る為に、存在の音を出し合う

会社の研修で2日ぶりに会ったお子様が、違う生き物なのか!?と思うくらいに生物としての進化を遂げていた。ハイハイのスピードが倍速になって、リアクションも大きくなって、笑い声も今までは引き笑いだったのがガハハと豪快になった。とにかくハイハイで動き回るみたいで遂に新品のズボンの膝部分が破けた。ダメージジーンズのダメージって大人がズボンを履いてハイハイをして作るのかな?と想像してしまうくらい綺麗なダメージが出来上がっていた。

産まれてから存在がふわふわしているなと思い続けていたお子様が自分の意思を持って行動や感情表現をしだして、いわば段々とくっきりしてきた。

ハイハイをしている時のドタドタとした音、手を叩く音、つかまり立ちをして転んだ時の音、泣き喚く声、おもちゃを床に叩く音、豪快な笑い声、手を口に入れながらアワアワアと何かを呼ぶような野生の動物みたいな声。

お子様の姿を見ていてもまだ夢の中にいるみたいな。本当にこの人はここに存在しているのか?とふわふわしているけど、音を聞くとこの人も生活しているんだなと感じる。この音がどんどんリズムになって、生活のリズムが出来ていくんだな。それを自分で奏でるようになれたら1人で生きていく事が出来る様になるんだろうな。好きなだけ好きなように鳴らしてくれ。

 

会社の研修は僕が昇格しての階層別研修。会社における自分の立ち位置、役割や仕事の取り組み方、モチベーションを上げる要因とか新人教育のコツとか、まさに仕!事!の!為!の研修だった。言ってしまうと楽しかった。心理学とか好きかも知れない。人間の性格を紐解いて行くのにこんなに時間がかかるんだ、文字が必要なんだ、まだ足りないんだ。と途方に暮れる楽しさがあった。単純だから仕事のモチベーションもあがってしまった。でもイラストも頑張りたいからバランスが。という悩みもある。僕は仕事はお金は勿論の事だけど、アクセサリーや防具感覚でしているのかも知れない。つけていれば安心でおしゃれ。

趣味と仕事、両立しつつも仕事メインで頑張らないとな。と思いながら研修報告書を書こうとびっしりと仕事に対する取り組み方などをメモをした紙を見ていたら、いくつかイラストが描いてあった。

温もりが迫ってくる

妻が友達の結婚式に出かけ、お子様と2人きりで1日を過ごす事に。朝、妻を最寄駅まで送って改札を抜けていくまで見送った。抱いていたお子様は不思議そうに小さくなっていく母親を見ていて、姿が消えてからもずっと見ていた。改札を離れてもずっと改札の方を見ていて、母親が居なくなったと気がついたら大泣きするぞと思って身構えていたけどいつもよりも朝早く起きたからか車に乗せたらすぐに寝てしまった。

 

お子様と2人きりで一日中いるのは久しぶり。しかしお子様は日に日に変化していくから感覚的には初めてと同じ。ご飯を食べさせて遊んで寝て遊んでご飯食べて気がついたらもう夕方だった。お子様は少しでも離れると大泣きする。洗い物をしたりご飯を用意するだけでも大泣きするし、昼寝も抱っこしていないと泣く。

どうすれば全てが満たせるんだ!と叫びながら荒れていく部屋(片付けも出来ない)。求めてくるお子様。でもこの温もりは今しか味わえないよな。と思いながら噛み締める事にした。

 

お子様は自分の意思がはっきりしてきた。好き放題やっている。もうずっとこのままでもいいのにと思うくらいわんぱくで、この先はきっと他人を知って、バランスを取るために好き放題を抑制していくのだろうと思う。勿論そのおかげで人と付き合えてその楽しみもあるのだけど、ずっと無邪気でいてくれれば胸がキュッとする事も無いのかも知れない。けど、いつまでも生きている訳じゃないからなこちらも。1人で生きて楽しむための教育がそろそろ始まるのだろうなと、床をペロペロ舐めているお子様を見て笑いながら思った。

 

夜、妻を迎えに行って結婚式の思い出話を聞きながら、僕はお子様との一日を話しながらコンビニに寄って夕飯を買って帰った。お子様は更にテンションが上がって激しかった。嬉しいという感情が伝わるのって、嬉しい。嬉しいの連鎖が起きている。嬉しいが消えても心に残したいと思い、お子様をぎゅっと抱きしめたら激しく怒られた。

大きな虹を立ち止まって見ているが よく考えたら進行方向は虹の方

出勤で車を運転している途中、信号もない、交差点もない場所で渋滞していて事故かな?と思ったら圧倒されるくらい大きな虹がかかっていて、これが原因だという事にした。

小学生の頃、虹はどこからでて、どこに伸びているのかをひたすらに考えていた事がある。自然と言うには精密で、人工と言うには不確かで、人の想いに似ているなと思った。誰かが誰かに送っているものだろうか。だったらいいな。ごめんね。とか、ありがとう。とか、好きだよ。とか、おはよう。とか。何とでも汲み取れる。そんな色をしている。今でも変わらない。

 

「家を出たら目の前から虹が出ていてどうやらあなたの家の方向に伸びていそうで思わず「虹伸ばしたんだけど、ちゃんと届いてる?」とメールを送ったら入れ替わりであなたから全く同じメールが届いた。」

 

 

noteでコラムを書きたくてそのタイトルを2週間くらいずっと考えていてやっと、やりたい事も含めてのタイトル候補がやっとできた。

 

「寝る前に冷蔵庫を開ける」

「寝る前に開ける冷蔵庫」

 

どっちも言っていることは同じ。寝る前、歯を磨いた後に冷蔵庫を開けるのは今日への執着と明日への楽しみが混じっている気がして、そんなものが書きたいなと思った。

前者の雰囲気はきっと今までやってきたやり方と同じ。日常感というか我が強くなく、こぼれたものを好きに拾ってね。という感じがする。言わば保険だ。安心感もある。

後者はわくわくの期待値があがるような気がする。割と攻めていて正直性に合わない。

 

位置が変わるだけでこんなに雰囲気変わるんだね。と嫁と寝室で子供を一緒に寝かしつけながら話した。子供は布団をハイハイしたり突然ゴロゴロとするのが楽しいらしくはしゃいでいた。

 

「でも今回は頑張りたいと思うんだよね。変わらないと煮詰まったままだろうし。後者にしようかなと思っているんだよね。ガツガツ行きたいんだよ。」と言ったら「確かにあなたらしくないけど、いいね」と言って笑ってくれた。

どっちにしようかな。