おかわりもらった

元気な証拠を残します。

小豆の亡骸

水筒にどうにかおしるこを入れたくて悩んでいたのだけど、何となくパンに塗る為に買ったあんこを見ながら、コメダ珈琲にこんなメニューあったなと思ってスプーン一杯だけコーヒーに入れてみた。

そのまま会社に行き、飲んでみたらなかなかにコクが生まれた…気がする。多分入れなくて「あんこ入れたよ!」と嘘をつかれても同じこと言いそうなくらいのものだけど、無理にでも結果が欲しくてそう思い込んだ。途中でテンションも上がり、水筒をやたらと振ってコーヒーを飲んでいて、小豆早く出て来ないかなと思っていたら最後に出てきた。出て来たけど中身がスカスカで皮だけの小豆で噛みごたえも無くて気持ち悪かった。小豆の亡骸を食べているよ!と叫びそうになった。あんなスカスカな小豆は怖いよ。何があったんだ!?誰にやられたんだ!?と思うくらい絶望的な現場だった。しばらく小豆の顔が見れなくなりそう。

次はきなこでも入れてみようかな。奴なら最初から粉だし。

 

イラストも日記も「やりたい時にやれるだけやれば良い」と思っていたけど、「やらなければ楽だよな」と思う事が多く、やりたい時だけだと全くやらなくなるんだろうな。何とか日課にしたいけど、目標がことの如く足枷になっている気がする。いや、昔から僕にとって目標は目指すべきゴールではなくてやらなければならない足枷でしかないのかも知れない。新年早々、抱負という足枷をつけてスタートしている感覚。そういえば子供の頃、目標達成を出来なければ罰があったな。これは余談だ。

とにかく、つべこべ言わず続けたい。考えるの辞めたい。これも練習。

お弁当は遊び入り

お弁当箱を新しくした。たまたまスーパーで気に入ったものがあり、それが丼専用のお弁当箱だったから少し悩んだけど気に入ってしまったから仕方ないと購入した。

丼専用のお弁当箱だからご飯を掘るようにして食べて行くのが楽しい。上からご飯を覗き込むようにして掘っていく。掘っても掘っても白いご飯なのだけど、お弁当の楽しい所のイメージだけを抜き取ったような感覚がする。お弁当は食べ物で遊んでいるみたいだ。

 

それと水筒も買った。毎朝缶コーヒーを買っていたのだけど積み重ねるとそれなりのお値段になりそうだから、家でコーヒーを水筒に入れて持っていく事にした。缶コーヒーよりかは味気ないけど、不満というほどでもなく、すぐに慣れるんだろうなという予感はする。今はまだ帰りに缶を捨てるという動作がないのが気持ち悪くて慣れない。どうやら僕の退勤の気待ちの切り替えは缶をゴミ箱に捨てる時の「カン!」という音で行われているらしい。

あと、缶コーヒーを買うのを辞めた事によって、自動販売機で飲み物を買うこと自体に抵抗を感じるようになった。昨日は急におしるこが飲みたくなって、いつもなら買ってしまうのだけど「水筒におしるこ入れなくちゃ」という使命感に駆られてずっと考えていた。何だか目的がよく分からなくなって来た。とにかく今は安くおしるこが飲みたい。

消化出来ないゴミをどさどさ重ねる

3日連続のゴミ捨て初日。燃えるゴミ以外のゴミ捨て場がそれなりに遠くて車で行っている。朝早く、誰もいない公園にどさどさとゴミを重ねるのは楽しい。これが帰ったら無くなっているのを見たり想像したりするのが好き。野生の動物が持っていったんだろうとか想像したりする。捨てた炊飯器を使ってご飯でも炊いているのだろうか。とか。でもこの日は他にも捨てている人がいて気がついた瞬間にビクッとしてしまった。悪い事をしている人だと思われたかな。いや現実に戻った瞬間なだけなんです。変なものも捨ててないです。いや、生活の不用品なんてまともなものないかも知れないけど。

 

帰ったら頼んだ本が沢山届いていた。5冊中2冊が短歌の本で、そういえば最近短歌が好きだなと思った。短歌は言葉を言葉のまま物質化した気がする。手に取れる持ち運べるような。感情や情景や今や昔や未来の情報がそこにギュッと詰まっている。何よりもそのギュッとしたのが人間だと確かに思えるのが好きなのかも知れない。子供の頃、飛び出す絵本を初めて読んだ時の感動をはっきりと覚えていて、それと近いかもしれない。

どうしたら伝わるんだろう?と思う事を、短い言葉にしてからゆっくり開いていく事を、最近してみたい。時間をゆっくりしたい。

歯は命

2年ぶりくらいに歯医者に行った。土日もやっている歯医者が近くにあり、しかもネット予約が出来るなんて「こんな美味しい話あるのか?」と思いながら予約した。久々の歯医者は緊張したけど特に怒られる事も呆れられる事も無く、淡々と虫歯を治療してくれて拍子抜けした。単純だからこれを機に定期検診に行こうと思った。

そういえば「芸能人は歯が命」というフレーズが頭に残っているのだけど。あれはどこで見たのだろう。ずいぶん子供の頃だった気がする。あれがCMなのかギャグなのかも分からないけど、真面目さを逆手に取ったようなタイプのひょうきんなイメージがある。未だにテレビで芸能人を見ているとたまにそのフレーズが思い浮かんで歯を見てしまう。歯が命のタイプとそうでないタイプの人がいる。芸能人の歯が命なのは元々ではなくこのフレーズのせいなのだろうか?とふと思った。

 

土曜日は仕事で、日曜日と月曜日は休んだ。人と会う約束が無くなったから基本的に家でのんびりした。出かけようと思ったけど嫁が体調を崩したからお子様を抱っこ紐で抱っこして散歩をした。やはり男性がお子様を抱っこして薬局で買い物をしているのは珍しいのか、そこそこ沢山の目線を感じた。お子様が可愛いからかも知れないけど。あんまり気にしないようにしようと思っていたけど、どんな目線だったかちゃんと見ておけば良かったな。

帰ってから嫁が寝ている寝室に行ったらお子様が元気にはしゃぎ始めたからそのまま寝室にいて気がついたら3人とも寝てしまった。1日は早い。あぁ、もう1日が終わってしまったといつも思う。簡単に満足しなくなったという事なのだろうか。

 

 

食事は娯楽か生活か

じわじわと太って行くのが怖くて、でも運動に時間をさけたくない。だから食べる量を減らそうと思っているけど、食べるのが楽しくて仕方ない。特に夜。よりにもよって一番太ると言われている夜。夜の食べ物は何でこんなにもクリアなのだろう。1日の終わりに食べるからただただ楽しいのだろうか。朝、昼はこれから活動する為!という気持ちが確かにある。食事は娯楽か生活か。夜のご飯は娯楽が少し効いていて美味しい。

 

おかずに対してご飯が少しだけ足りなくておかわりする瞬間に至福を感じる。炊飯ジャーって無限にお米が入っている気がしてしまう。ジャーをカパって開る時、分かっているのに顔を近づけて開けてしまい、湯気がモワァっとするのいつも笑ってしまう。少し老けた気がするくらいベタっとした蒸気。浦島太郎は玉手箱ではなく炊飯器を開けたのではないだろうかと思うくらい。あ、これイラストで描こう。

 

いつもは夜ぐっすり寝るお子様が深夜2時くらいに起きた。でも夜泣きをするわけでもなく布団に入りながらただニコニコしながらこっちを見てきて、それが可愛くてずっと見てしまい眠れなかった。本当に同じ人間なのかと不思議に思う。歩けない、言葉も喋れない、表現する動きも少ない。なのに充分過ぎるくらいに色々なものを色々な人に与えてくれる。どういう生き方をしたらこうなるんだろうか?と生後8ヵ月のお子様を見て思う。

嫁が「赤ちゃんサロンに行ったら、他のお母さんが保育園に子供を預けるのが不安で何10箇所も見て回った。汚い所は嫌。添加物をなるべく与えたくないから出さない所を探している。とか色々言っていて、凄いなぁ。私はのびのびと育てば良いやくらいしか思っていなかってから、もう少し考えた方が良いのかな。」と言っていて、僕ものびのびと育てば良いと思うし、何よりも僕も嫁ものびのびと子育て出来たらいいなと思った。あと、子供が布団でニコニコしながらぬくぬくしているのは嫁のおかげなんだろうなと思った。

趣味はお金の栽培

朝起きて、ばっちり目が覚めているのに頭の中はぼうっとしている。朝と夜は良い。季節を鬱陶しく感じない時間。暗いな、明るいな、くらいで。最近は朝の方が静かで何かをするには最適な時間。出掛けるための身支度で終わってしまうけど、それでも静かなところでの作業は好き。没頭している時は思い返せば呼吸を忘れてドキドキしていた。お弁当を詰めたり食器を片付けたりしているだけなのに。朝は良い。もっと早起きしたいな。でも夜も捨てがたい。起きていれば起きているほど時間を伸ばしている気がする。夜と朝が繋がっていなければいいのに。

 

前日、夜更かしをしてしまったのもあり、疲れていた。それでも資格勉強をしたり落書きをしたりイラストの準備をしたり、良いペースを保っていたから時間で区切ってやるだけやろうと思っていたけど、嫁と保険や貯金の話をしたら頭がショートした。結構ギチギチに計画練ってしまっていたなとぼんやり思った。

だけどお金の事はいい加減話さないといけない事で、今まで貯金にお互い無頓着に生きて来たから改めて考えないと。しかしお金ってどんなにあっても不安だなと思う、「お金は無くても幸せだけど、無いと不幸になる。」と誰かに言われてそれがずっと頭の中に残っている。貯金していて良かった。とは結婚式の時と家を買う時に、今までの人生で2回思ったくらいだけど、思う度に貯金は何百万という単位でガンッと減って心と身体が削られていくような寂しさがあった。そう思うと安心の為に貯金をしている気がするけど、それはそれでお金の使い方が間違っているのだろうか。あぁ、お金って栽培出来ないものかな。いや、今のお金の稼ぎ方は栽培みたいなものか。稼ぐ手段を増やすしかないかな。

しばらく嫁と話して、気がついたら眠っていて朝になっていた。お金の悩みは朝までついてきた。いつまでついてくるんだろう。さっさと振り払いたい。

サンタクロースから年賀状

実家の住所から「サンタクロースより」と言う名前で手紙が届いて、開いたら僕と嫁とお子様のイラストが描いてある年賀状だった。父親の仕業かなと思って、そういえば父親の絵柄好きだったな。10年ぶりくらいに見たなと思って懐かしさに顔を埋めながらそれをTwitterに呟いたら、妹から「あの手紙は父親の血を受け継いだ娘の絵です。」とLINEが来て、絵柄もやる事も父親に似たな。と驚いた。遺伝というか父親に対する尊敬なんだろうな。

 

1月中は年始の話をしようと、年始を感じられなかったから今更しがみつこうと思ったけど無理だな。正月だから特別…という事は無かったよ。盛り沢山ではあったけど。でも年末年始は仕事を休む人もいて、しかも家でゆっくりしよう。という人も多いのか、全体がゆったりしていて、この街の雰囲気は好きかも知れない。年末年始くらいゆっくりしようよと口癖のように言って、何がくらいなんだ?と思うけど、終わりをゆっくり迎えて始まりをゆっくり動き出すのは良いかも。ゆっくり時を過ごすのか時間を大切にせかせかするのか。時間を欲しがってばっかりで時間の遊び方がまだまだ分からない。

 

何でも楽しんだもの勝ちだから変なプライドは捨てよう!と思ったけど、捨てきれなかったなって、Twitterで100万円を配ろうとしている方々と応募をしている方々を見て思う。応募して当たればラッキーじゃない。当たらなくても今まで通りの日常じゃない。ありがたい企画じゃない。でもなんのリスクも無い事だとはどうしても思えなかった。自分の中のわずかに残っている面白さが無くなってしまいそうな気がした。こんな変なこだわりがあるから生きにくくなるんだろうな。たった一瞬何も考えずにうっかりボタンを押すだけなのに。僕はこんなにもリスクの無いギャンブルに挑戦する事も出来ない。この感覚はずっと覚えておこう。このまま続くのか、いつかポッキリ変わるのか。生かせるのか、死んでしまうのか。